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明日は何着よう?松はじめのスーツの着こなし術

松はじめ 私のプロフィール

この記事の目次

松はじめ
1978年3月生まれ
富山県出身

写真家の祖父を持ち、母は元ブティックの販売員。20代で上京、株式会社ボットーネの創業者。

著書:リセット仕事服(技術評論社)

・株式会社ボットーネ 代表取締役

メンズファッションTV 編集長

紳士の帽子のかぶり方 ハットスタイル編集長

富山で生まれ上京

私は、富山県で生まれました。

実家から10分車を走らせればこんな田園風景が広がります。背後に広がっている山は立山連邦といって、3000m級の山が連なる北アルプス。この山からの雪解け水が、湾になった海に流れるという、魚にとっても好環境。そんなわけでお魚も美味しく、米どころなのでお酒も美味しい。そして2008年のデータですが、持ち家率は77.5%で全国2位、持ち家住宅の畳数では、56.41畳で全国第1位なんです。

そんな住みやすいところで生まれ育ち、その富山で自動車の販売の会社に新卒入社しました。

はっきり言いまして私は人見知り。飲み会の人数が4人を超えて5人になるとさっさと帰る性格です。そんな私ですが、特別な取り柄もなくごくごく普通のサラリーマン家庭に生まれ育ったので(祖父は私が生まれる前、写真館を経営していましたが、私はその写真館を知りません)やはり仕事の基礎はお客様と接することだ、というのが頭にあったのだと思います。

父は高校を卒業してからずっと1つの会社で働き、母は結婚するまで富山の百貨店やブティックで仕事していました。私がお腹の中にいる時も百貨店で働いていたそうなので、生まれる前から教育は始まっているといいますよね、それでファッション業界への憧れに繋がったのかもしれません。

その会社3年間勤めた後、退職。

私は父の姿を見ていたので、1つの会社に勤め続ける素晴らしさは今となってはわかるんですが、父の生き方に疑問を持ちました。このまま富山で会社員をやって人生を終えるんだろうか?5年前に入った先輩を見ると、自分の5年先がわかる。10年前に入った人を見れば、10年後がわかる。そんな風にどこかで聞いて、ふと先輩を見た時に、私が憧れる人生ではなかったのです。そこできっちり3年仕事をして、退職しました。

23歳、その後はフリーで仕事をしました。そこそこ自信がありましたので、自分でやろう!とやってはみたものの、結果は惨敗。今まで会社の看板で仕事をしていたんだ・・・と気付かされます。こうしてその後は会社を転々としたのです。

突然洋服の世界へ!

27歳を迎えたある日、タイミングは訪れました。ちょうど仕事を辞めて、この先一体どうしていこうか・・・来る日も、来る日も悩みました。一度きりの人生。何か好きな仕事をやってみたい!何日もたったある時、ふと東京で仕立て服の仕事をしている方を思い出します。心機一転、そういう仕事はどうだろう?

そう思った瞬間に、もう右手はその方の電話番号を探していました。話はトントン進み、ちょうど一緒に仕事をする人間を探している、来い!と言われ、私は二言返事で「行きます!」と。

こうして、洋服が大好きというだけの理由で東京に出て、この業界に飛び込みました。

東京に出てからは、積極的に探して講義に出席しました。この頃、自動車のエンジンオイルはチェックできても、洋服のフィット感を高める魔法はわかりません。

ある日は、パターンは講義に参加されていたテーラーの川崎師匠のところに行って、私のスーツを作るというテーマで実際に引いてもらいながら教わりました。スッスッと線を引いていく川崎師匠。現在はもう引退されているのですが、非常に控えめですが、内側に熱いものを持った方でした。もちろん一朝一夕でパタンナーになれるはずはありません。未だに私はパタンナーではありません。

角尺、カーブ尺と4B鉛筆を使い製図をスタート。写真はちょうどラペルを描いているところで、

「ここが感性が問われるところなんだ。」と師匠はおっしゃっていた意味が今となってはわかります。

その後、クリーニング工房ナチュラルクリーンの中田代表とのご縁で、工房のプレス研修にも参加させていただきました。幸運にも黄綬褒章を受賞された鈴木誠治さんが講師をされていたので、月1ペースで半年間おじゃまさせていただきました。

さらに中田代表がスーツを誂える、というので、パターンや芯作りにも同席させていただきました。

プロの手仕事に圧巻です。鈴木さんが1着を担当すると、月に3着が限度。制作期間も今回は仮縫い、中縫いをはさんで半年くらいかかりました。これこそ丸縫いのビスポーク。カットの美しさや、アイロンワークも芸術です。

鈴木さんは、物心ついた時から服作りに関わっていたそうです。

アイロンで殴られた、なんて表現がありますが、まさにそういう環境だったのかもしれません。

技術者は機能性を求めがち。
見た目、ビジュアルも大事。と鈴木さんはおっしゃっていたのが胸に残っています。

教科書通りでいけば、いせ込みはこの分量で。と数字や理論をつかえば、単純に服にはなるんですが、スタイルとトレンドはこれだけでは表現できないということですね。

新宿にサロンをオープン

2008年、開業当時の新宿サロンです。マンションの本当の1室ですが、スーツ、コート、タキシード、毎日お客様と洋服の話をしていました。無給・無休で、有名なスタイリストさんのアシスタントをしていて、服を学びたくて・・という心優しい青年がいまして、私のところでアルバイトしていました。

その子が、自主的に買ってきてくれた花が、この写真に写っている黄色い花でした。無我夢中で、設計書をつくるのも追いつかなくなって、深夜まで作業するのは当たり前でしたが、いつも明日にワクワクしていました。

「本当にこんなところに洋服屋が?」とみなさま恐る恐るいらっしゃったことと思います・・・。

鈴木さんのように丸縫いのフルオーダーだと、生地にもよりますが1着40万円くらいが相場です。

私は、普通の方が輝ける服を、普通よりも楽しく、普通よりも丁寧に。

そういう想いがありましたので、最初は7万円から。

でも百貨店で同じ服を買うのなら、ストーリーを楽しみながら、専門家と一緒に服を作ろう。と思っていただけるようなところを目指しましたので、0からパターンを起こす形ではなく、既存のパターンをベースにしてシルエット構築しています。

パターンをベースにしていても、細かくフィッティングします。

また時にはパターンを起こしますし、美しく見えるシルエットはこの頃からいつも追求しています。

好き、という想いを追求したらいつの間にか東京に来て、いつの間にかサロンをやっていました。好きなことをやるっていいなと思いました。

会社のロゴは、エンブレムデザイナーの篠塚正典さんに作っていただくことに。

創業してからは、たくさんの方に支えられてお陰様でたくさんのご予約をいただけるようになりました。

さらに人生の節目、結婚も。

なんとも不思議なご縁です。

仕事でご一緒させていただいていたスタイリストの方と組んでいたデザイナーの、ホームパーティに行きました。そこで彼女と出会いました。私、ホームパーティが大の苦手です、5人以上人が集まっているでしょうから。

ところがお仕事で関係している方のホームパーティだったのでおじゃましたわけです。正直少し億劫だったので、その日の最後の打ち合わせが長引いた、というよりも長引かせたかった自分がいたのだと思います。

遅れてデザイナーさんのマンションについたら、2人を残して買い出しに行っていました。1人はデザイナーさんで、もう1人が彼女でした。なんとなく話をせざるを得ない状況になりまして、なんとなく気が合って、なんとなく電話番号を交換しました。

彼女はアイフォンで、うわっ、最先端のアイフォンか・・・と気後れしていたんですが。

その翌日に麻布十番祭りがありました。私は気がつくと彼女に電話をして、麻布十番祭りに誘っていました。彼女に会って、次の日も会って、私たちは付き合うことになりました。

その次の日もなぜか会いました。こうして4日目に私は言いました。

「結婚しよう!」

表参道サロンにたくさんの方が

こうしてサロンを表参道に。広さも少し広くなり、チームで仕事するようになります。

小さな洋服店としてオープンしたんですが、1日に打ち合わせできる方の数も増えました。それでも1つの洋服の打ち合わせ時間は、2時間15分とる、というスタンスは変えていません。

良い服を作る上では、絶対に打ち合わせ時間をとることが大事です。

フィッターもじっくりピン打ちをしながら、二人三脚での服作りができますから。

藤岡弘、さんのスーツをお仕立てさせていただいた2012年。

はなまるマーケットでお召しいただいている姿を拝見した時の嬉しさは、昨日のように覚えています。

この頃、テレビCMのスタイリストさんとのご縁ができて、テレビに出ている方からのスーツのご依頼が増えました。

その後も表参道サロンにはいろいろな方がいらっしゃいます。英国生地商社のCEO ジェームス氏をはじめ、様々な方がいらした時にその国のスーツ事情を聞いてみました。

日本のものづくりを世界に!

日本の良い服を、世界に発信したい!

そんな想いから、2013年から2年間、中国・北京でトランクショーをやりました。

五塔寺というお寺のそばにある博物館があるのですが、そのエリアに政府の方などが集まる場所がります。

全室お互いの顔が見えないように、という配慮がされた窓や廊下の設計で、中国文化を感じる建物です。

こちらの1室を貸し切ってプロモーションしていただきました。

こうして2ヶ月に1回の海外出張が始まりました。言語も文化も違う方々に出会う、服を通して。面白い仕事だなと感じました。普通に暮らしていたら絶対にお会いできないようなCEOや役員の服もチームで担当しました。

紳士の素材学校

2016年に、ある疑問が生まれました。紳士の素材について、学校はないものだろうか?探してみたところ専門学校をはじめ、服飾の学校というといくつかありました。

ところがファッションという分野の勉強はできるのですが、テーラードとか紳士服となると特化したところはありませんでした。

随分前、メンズファッション専門学校というスクールがあったのですが、それも今はありません。

私自身、みなさんに正しい情報をお伝えしたい!と思ってはみたものの、ネットには真実かわからないような情報が溢れていて、雑誌でもAと書いてあったり、Bと書いてあったり。

例えば、生地に書かれているスーパーという表記も、昔は意味を間違えて掲載されていることもあったようです。雑誌社の方は編集などのプロであっても、生地のプロではありませんから無理もありません。

同じように思っている同業の方は少なくないのではないか?

そんな想いから、ある方に講師を依頼したのです。

それが大西基之先生です。

大西基之先生は、元ダーバンのテキスタイルデザイナー。

そしてメンズウエア素材の基礎知識の著者であられます。

また日本の紳士を集めた写真集 ジャパニーズダンディにも掲載されるなど、服飾業界で権威のある方です。

大手商社でも講師を務められている、そんな方に恐れ多くもお願いしたわけです。

「テーラーやスタイリストが、正しい素材の知識を勉強する場を作りたいんです。講師に来ていただけませんか!」

快く引き受けて下さった大西先生。

講義は、2016年から2か月に1度、ずっと続いています。現在はおよそ30名の卒業生を輩出するまでとなりました。スーツの仕事や、セレクトショップの店長をやっている、そんな人でも今の時代は濃厚な研修を行ってくれる企業の方が珍しいと思います。人出不足でしょうし。

すると、専門知識がない状態で売り場に立たなければならないわけです。

お客の立場としても面白くありません。私は親の代からテーラーではないからわかるんですが、消費者でもありました。セレクトショップに買いに行っても、理論じゃなくて雰囲気で勧めてくる方が多いな、と思っていたのです。

逆にアパレル業界に入って、それは無理もないな・・とも思いました。じっくり研修してもらえる環境ではない場合もあるのです。車のことはわからないけど、とにかくまず売ってこい!というようなものです。

かくなる大西先生も、とある百貨店で生地が裏になってディスプレイされていたのを目の当たりにしました。

「これ、裏だよ?」

店員さんにそう言ったものの、ポカンとしていたそうです。生地の裏・表、みなさんは見分けがつきますか?私は「ノの字だぞ」と教わりました。

綾織の場合に、ノみたいに見える方向が表です。

もちろん例外もあるんですが、店員はそういう基礎がわからない。だって、教わる場がないから!こんな悪循環がアパレル業界で起こっている現実なんです。

そういう意味でも、この本は生地に関わる人のバイブルだと思いますよ。

講義の様子

スーツの講義

もう一つ。

この本、スーツとは何なのか?それを知る手がかり、私の教科書の1つです。

スーツの教科書、という本なのですが、この著者 出石尚三先生の講義に通っています。講義を主催していらっしゃるのが左の内田さん。真ん中が出石先生です。

もっとスーツの歴史や文化を知りたい!

そしてそれを伝えたい!

そんな気持ちが溢れてきて、銀座ファッションアカデミアという服飾史の講義に通っています。

それで、

出石先生の講義に通っていたんです。

ある日、主催の内田さんが出石先生の誕生日だから、こっそりケーキを買っておいた!と。講義のあとに誕生日お祝いのケーキを出すという構想で、お祝いしました。ちょっと和やかな空気になったときに、とんでもないことがわかったのです・・・

それが、こちらの記事。

本当に驚きはいろいろなところにあるものです。

一緒に働いているクルー、中之丸もこんなことがあって、今にも泣き出しそうでしたよ、、私が。

チームでもいろいろなところへ

いろいろなところ、といえば、会社のみんなともいろいろなところに行っています。

こちらは葛利毛織。

日本に残っている貴重な織元、葛利毛織。くずりけおりと読みます。

ションヘル織機というレトロな織機で、ゆっくりと良い織物を仕上げます。高い技術力に、世界から注文が入るほどです。このゆっくり織ることは今の高速化した織機では出ない仕上がりがあります。そして、古い織機はコンピューター管理はできないため、人の手で、昔ながらの手法でメンテナンスされます。

味わいがありますよね。

こういう工房は大変貴重で、興味があって2回目の訪問をした様子がこちらです。

葛利毛織に行った時の様子

メディアはそれほど出ていませんが、サロンなどでお会いした方以外にはあまりお伝えしていないのですが、雑誌やテレビには時々出ています。例えばこちらは、NHK BSの美の壺という美術番組に出させて頂いた時の記事です。

近頃、台湾に行きました。スーツウォークというイベントです。

私は思い立ったら実行するタイプで、大西基之先生が台湾スーツウォークで歩く!というので、なんだか良くわからないけど面白そうだったので、追いかけて行ってみました。

いざ台湾に到着して、スーツウォークの当日がやってきました。

会場の台北101に到着、すると、700名近いお洒落紳士が集まっているではありませんか!

これはGQさんの企画だそうで、日本のダンディな方々のお姿もお見かけしました。

左はGQジャパン編集長、右はひとよしシャツの代表。

中村さんや鴨志田さんの姿も・・・

大西基之先生とは台北で合流しました。左はスーツウォークを主催されているブライアン。

台湾の方は普段からスーツを着るという文化がありません。

だからこういったイベントでは、スーツを着ることに対して日本よりも楽しんでいるように見えました。

こんな感じで仕事をはじめて12年が経過しました

気がつけば紳士服の仕立ての仕事に携わって、12年が経過しました。

ここまでの道のりはいろいろとありましたが、まだまだこれからだと思っています。

私は、これからも以下のことで皆様に貢献したいと思います。

・あなたにスーツや洋服の楽しさ・深さを伝える

・素敵な服で溢れた、紳士な日本をつくる

・洋服・文章・写真を通して正しい知識を楽しく発信する

これからはオーダーサロンボットーネでのお仕事(スタイル・コンサルティングをしたり、後継者を育てたり)に加え、ファッションライターやファッション業界で活躍される方の魅力をお伝えする仕事なども行っていきます。

監修・紳士の帽子のかぶり方 ハットスタイル

メンズファッションTV 編集長

まだまだこれから。

未熟でいるうちは、成長できる!とはマクドナルド創業者のレイクロックの名言で、私の心に刻んでいる言葉です。

奢らず、謙虚に、一歩一歩。

好きなことは寝る間を惜しんでやりますが、疑問に思うと手が止まります。

そんな不器用者ですが、、みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

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松 甫ライター:松 甫 詳しいプロフィールはこちら>> Twitter Facebook 表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。

2018年6月24日
ライフスタイル | 編集長の日々

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