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明日は何着よう?松はじめのスーツの着こなし術

ネクタイのルーツ クラバットやフォーカーレを追ってみる

松はじめです。

ネクタイとは一体何だったのだろうか?

それは首に巻くものということは皆様ご存知だろう。

人類始まって以来、ネックウエアが存在しなかった時代はないんじゃないか?

首は体の要、重要な器官。その首の衣装というのはいつの時代でもあったのではないか?

そう語るのは服飾評論家の出石尚三先生だ。

銀座ファッションアカデミアという服飾の講義より、本日はネクタイのルーツ、クラバット。

首のアクセサリーの歴史は古い。確かに、古代ギリシャでも王の肖像画を見ると、立派な首飾りをしている。

これも立派なネックウエアといえる。

顔=首

顔を見るということは、首を見るということで、豪華絢爛な首飾りをしていると、偉い人にちがいない!と思うのだ。

顔の衣装に近い意味があったのではないか?

古代エジプトでは、かなり地位の高い人でも、暑い土地ということで腰布くらいしかつけていない。
しかし首の衣装は豪華なものをつけている。

ネクタイの原型 フォーカーレ

凱旋門に描かれている兵士は、フォーカーレを巻いている。

フォーカーレは古くからある、ネクタイの原型。

古代ローマ時代、全ての人が文字が読めたわけではないため、弁士という語り手のような職業があった。

今でもロンドンに公園にスピーカーズコーナーというのがあるが、弁士は公園に立って、人々に語るのだ。頭の優れた弁の立つ人ということで、知的特権階級だった。

その弁士の証明としてフォーカーレを巻いた、地位の象徴というものだろう。

麻布をくるっと巻いたのが始まりだった。フォーカーレはラテン語で、首布。元は同じくラテン語のフォーケウスで、喉や首という意味。

ラフが登場

1540年に登場した、ラフ(ruff)は言葉は知らなくとも絵では見たことがある方は多いのでは?

首の装飾、これも立派なネックウエア。

ネックウエアはこんなに装飾的な時代もあった。

これはシャツの一部ではあるがやはりネックウエアで、トレンドは瞬く間にヨーロッパを席巻する。

流行は100年くらい続き、もともとは宮廷から上流気取りの人にも広がった。

まさに、ネクタイの元祖である。

今から500年前、特別な職人が1日1回、毎日3〜5時間もかけてこれを作ったのだった。凹と凸の鉄で、ギュッとやってつくる。高価なレースを形作るタイプまで出てくる。。これは1回付けて外したらまた作らないといけないわけだ。

ラフは少しずつ大きくなる。

1580年になると、ラフはこんなにも大きくなった。

最終的には自分で食事ができなくなり、召使に食べさせてもらう事態に陥ったそうだ。

貴族としてはこれを外すわけにはいかなかった、これを外してしまえば上流階級とはいえないわけだ。女性も場合によってはラフをした。

こういうものでラフを作った。ファブリック自体が凝ったものでラフを作る。かなりの贅沢品だったのだ。

フォーリングラフに変化

16世紀後半になると、フォーリング・ラフ(falling ruff)(後にフォーリング・バンド)という、倒れたラフが出てくる。新しい流行だ。見た感じとしては非常に豪華な衿である。

特別なアイロンを駆使して、ホルン型のものを1つ1つ作り、首の周りに。支えるための器具までもあった。

ドーセット伯爵、つまり、当時いかに凝ったレースを男性が愛用していたか?ということがわかる。

アンリ4世フランス国王、フォーリングラフの変形。

レースをまとっている。

そしてクラバットに

1645年まで話を進めると、いよいよクラバット(仏:cravate 英:neck cloth)が誕生する。(ラルース語源辞典によれば、1652年頃からクラバットという言葉が使われているとある。)

非常にシンプルなフォーリングバンド。以前までは生地が贅沢だったのが、やや素材も簡略化させた。

洋品店の様子で、男性が首に巻いているのがクラバット

イギリス王ウィリアム3世

クラバット誕生の秘話

ルイ14世とは敵同士。でも同じようにクラバットをしている。一体型に見えるが、2枚のレースを使って蝶結びに見せている。ルイ14世は宮廷内の室内履きは、かかとの色は赤だった。当時は赤いヒールの室内履きは宮廷人のしるし。

昔から傭兵といって、兵隊をお金を出して雇うということがあった。

30年戦争は、兵士がいくらいても足りない。クロアチアからの傭兵を1645年頃、閲兵した。ルイ14世は見た、新しい兵隊が並んでいるところを。

あれは何だ?と聞く。

側近は、「あれはどこの兵だ?」と聞かれたと勘違いして、クロアチア兵という意味のクロアート(Croat)と言おうとしたが、一説によればどうも方言だったようで、「クラバットでございます。」と聞こえたようだ。

ルイ14世はクロアチア兵が首に巻いている、あれは何だ?と聞いたのだが、、、あの首の布はクラバットというのか!

クロアチア兵はどうして首に布を巻いていたのか?

日本でも五銭銅貨を持っていれば戦争に行って死なないというおまじないのような物があったように、出兵する兵に恋人やお母さんが、自分の着ているものの一部を巻いていけば、必ず生きて戻れる!というのがクロアチアにあったのだ。

武器に結んだ人もいれば、腰に巻いた人もいただろう、もちろん首に巻いている兵士もいた。

当然兵隊なので、輸入の高価高級なレースではない。

[speech_bubble type=”std” subtype=”a” icon=”izuishi.jpg” name=”出石 尚三 先生” ]

ルイ14世の時代は、戦費がかさんだ時代。しかしどんどん高価なレースが入ってくる。心身穏やかではなかったに違いない。そんなある日、クロアチア兵がやっていた。ほら、ああいうネッククロスでも良いではないか!と、王ならではのメッセージだったのでは?

だから、あれは何だ?と言った。臣下もまさかネッククロスのことを言っているわけではないな、と思いまして。そういう意味ではクラバットというのはお互いの誤解から生まれたんです。1645年の、ルイ14世の美しき誤解から生まれました。

[/speech_bubble]
 

クラバットの歴史が長く続く

17世紀から始まって、19世紀のボーブランメルの時代まで流行が続いたクラバット。その間に先天晩夏したわけだが、初期のクラバットの形はこうだった。

右がルイ14世。

宮廷でみなレースのクラバットを巻いている。目が飛び出るような金額だ。

随分後の時代に、ボーブランメルはモスリンでクラバットを結んだ。もともとは高価なレースが主体だったが、素材は変わっていったのだ。ルイの時代は素材はとびきり良いが、結び方はシンプルだ。

ごく一般の男性のスタイル。今でいうダークスーツにネクタイというようなスタイル、フロック。

ラウンドカフといってオーバーに袖を織っている。ラウンドカフからは、シャツの袖のレースを覗かせている。クラバットもレース。いつどんな時も、普段でもクラバットを巻いていた、いかに流行っていたかがわかる。結び方には工夫を凝らしている。

靴はダックウィルといい、わざと広がった靴。これ以前は尖った靴が流行っていた。

ちなみに髪が長いのはカツラ。ジェントルマンはこんなカツラをかぶっている。

イギリスでは今でも裁判官は、カツラを被るのが正装となっている。

1688年、17世紀後半のフランス海軍のユニフォーム。軍人にもクラバットが採用されるほどクラバットの流行があった。軍服ではあるが、それぞれ結び方が違う。

フランスの風刺画。テーラーの姿。テーラーもクラバットを巻いている。

大流行したスタンケルク巻き

1690年、ボナールが描いた貴族の絵。結んでいない、巻いて、よじって、コートのボタンに通している。

これはスタンケルク(仏)(英:スティンカーク)という結び方。大流行した。

当時は30個くらいのボタンが並んでいて、その7番目のボタンホールにさしたと言われている。

1692年、17世紀後半、8月3日9時、フランスとしてはベルギーを侵略を試みる。もちろんベルギーは反発。英国軍はベルギーと連合軍を作り、闘った。それがスタンケルクの闘いであった。

当時指揮を取っていたのがウィリアム3世。まずはフランスの捕虜を捕まえ、スパイとしてフランス基地に帰らせた。8月3日は攻撃仕掛けない、という偽の情報を伝えた。

[speech_bubble type=”std” subtype=”a” icon=”izuishi.jpg” name=”出石 尚三 先生” ]

フランス軍はそれを信じて、ゆっくりしていたんですね、8月3日の朝は。そういったことがどうもあったらしい。その偽情報を流したあとで、いくぞ!とイギリス・ベルギー連合軍は9時ごろ出発をし、テントの周りを囲みました。

当時フランスとしては珍しいんですが、スタンケルクの闘いには、フランスの貴族も参戦していたんです。戦場になっていたところは森なんです。

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上流階級ということで馬を使うのだが、馬が使いづらい。敵の奇襲!とクラバットで身支度している場合ではなく、フランスの貴族はざっくり巻いた。その戦闘は夕方まで続き、苦境に立ちながらイギリス・ベルギー連合軍を追い払った!スタンケルク巻きは、ここで生まれた。

[speech_bubble type=”std” subtype=”a” icon=”izuishi.jpg” name=”出石 尚三 先生” ]スタンケルクという地名は今はありません。古い時代の地名であります。今はエノーという州。
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[speech_bubble type=”std” subtype=”a” icon=”izuishi.jpg” name=”出石 尚三 先生” ]国境を超えたあたりにリールがありますね。国境近くのフランスのリール、英語読みにすると、ライルといいます。ライルっていうのは、伝統的に細番手の上等なコットンの産地だったんです。
それで綿のストッキングを作ったんです。昔の小説を読むと、彼はライル網の靴下を履いていた、と書いてあります。
それは、高級綿糸の靴下なんです。それはフランルのリールなんです。
[/speech_bubble]

1750年 スタンケルクの闘いから50年後、フランス軍人ボルテールの、ルイ14世の後期という歴史書にこうある。

侯爵様や、コンテ公や、ヴァンドーム兄弟が、仲間と一緒に凱旋すると、沿道は人で埋まっている。この群衆は、喜びのあまり囃したてること、とうてい正気の沙汰とは思えぬ。女は残らず、殿さま連の目にとまろうとして、憂き身をやつす有様。当時のしきたりで、男はレースの襟飾りをしたものだが、これをつけるには、骨が折れるし時間もかかる。右の貴族連は、大急ぎで仕度をして、戦場へ出なければならなかったので、この襟飾りを無造作に顎に巻きつけたにすぎぬ。女達は、その真似をして、早速新しい顎飾りを考案。称してスタンケルクという。最新流行の装身具は、どれもこれもスタンケルク型。この軍に出た若者は、寄ってたかって眺められる。何処へ行っても人だかりが激しく、殿さま連は歩くこともできぬ。宮廷が名誉相応の待遇をしないので、いよいよ人気が沸騰したわけだ。

ルイ十四世の世紀 ヴォルテール著より引用

男性だけではなく、女性の中でもスタンケルク巻きが流行ったことがわかる。

これがスタンケルク巻き。よじってホールに入れている。

有名な裁判官。ドレスアップしている様子、クラバットの巻き方はスタンケルクになっている。

こうして、クラバットの影響力はずっと衰えていない。

スタンケルク巻きは、イギリスでも流行った。

フォーカーレからクラバット

出石先生も、当時の人々も非常に面倒に思っていたということだろう、とおっしゃっていた。

念入りで、高価なアクセサリー、一般庶民には高価。値段の事も含めいろいろな意味でカジュアル化した、と。

ネクタイ、それはクラバットであり、首を飾る知的階級の象徴、貴族たる証、地位のしるし。

現代ではクールビズというネクタイをしない風潮もあるが、ネクタイをしていることで気が引き締まり、背筋が伸び姿勢まで良くなるもの。歴史と文化あるネクタイを今一度見直してみても面白い。

さて、明日は何着よう?

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松 甫ライター:松 甫 詳しいプロフィールはこちら>> Twitter Facebook 表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。

2018年10月20日
スーツの着こなし術 | ジェントルマンの知識

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