ダッフルコートとは学生のコートじゃない!歴史と由来を追う
いよいよ冬も間近だが、コートを最大限に楽しめる季節である。コートには色々なコートがあり、それぞれにストーリーがある。
ダッフルコートもその例外ではない。なんだかスクールスタイルのコートのようなイメージはないだろうか?
ダッフルコートの歴史は意外にも古い。学生が愛するスタイルとなったのはごく最近の話なのだ。ダッフルという名前もなんだか不思議な名前である。私は初めてダッフルコートという言葉に触れたとき、ダッフルという響きからなのか、ワッフルを連想してしまい、なんとなく可愛いイメージがあったのだが。
さて、一体ダッフルとはどういう意味なのだろう。銀座ファッションアカデミア 専任講師の出石尚三先生から、コートについての講義があった。
これからの冬に向け、テーマはコート。その初回がダッフル?チェスターフィールドコートでも、トレンチコートでもなく、ダッフル?ビジネスのコートとしてはなかなかイメージしづらく、カジュアルな印象があるかもしれない。しかし、本当に柔らかなカジュアルな、スクールスタイルにマッチするコートなのだろうか?
どうやら本質はちょっと違うようだ。ダッフルは今日はダッフルコートについてお届けしたい。
1971年に作られたアメリカ映画で、愛の狩人という映画。
ニューイングランドあたりの学生生活を描いた、アートガーファンクルという、2人組のデュエットで、歌手がいましたよね、サイモンとガーファンクルの片割れが俳優として出てる映画です。
二人とも学生でありまして、親友だけど対照的な二人。
季節は冬です、学生は、二人ともダッフルコート。
普通映画で、コントラスト出すのなら同じコート使わないでしょう。
愛の狩人の、ライバル同士、二人ともダッフルコート。
銀座ファッションアカデミア 専任講師 服飾評論家 出石尚三 先生
映画は当時の服装を語ってくれる、衣装はその時代背景を汲み取って表現されているので、たくさんのヒントを得ることができるのだ。さてこの映画の時代背景は1960年代、アメリカの東部のキャンバスである。
それ描くならばダッフルコートを、とそのくらいに流行っていたということなのだ。ダッフルコートの色は、ネイビーとキャメルと、色こそ二人違えど、同じダッフルコート。
ちなみにこの記事の冒頭のデザイン画はエスクワィアという雑誌に載っているダッフルコートのイラストだが、男っぽい素敵な60年代のダッフルコート・スタイルが描かれている。
ではさらに時代を遡ってみよう。
1945年に第二次世界大戦が終わります。
軍服が不要になるんです。倉庫にしまっておくわけにはいかないので、余剰品として市場に放出する。(放出品という)
アメリカのGIが着古したものがそこに売ってあります。その時にダッフルコートが一斉に売られました。
1940年末から1950年、デットストックです。
目を付けましたのは、若者。安いですから、半値半額です。(現在の値段で)7000円~8000円で買えたんです。
物としては優れ、格好もおしゃれ、流行となるんです、学生のあいだで。
ということで、ダッフルコートは遡ると軍服だったことがわかる。戦後に若者が安いし丈夫だしオシャレだし、と買って流行ったのだ。だから若者が着ているイメージが付いている方が少なくないというわけなのだろうか。
素材で重厚で、現代では薄手のダッフルコートやポリエステル素材の入ったコートも売られているのを見かけるが、耐久性は譲れないのが軍服。
それに防寒の面もしっかりしていないといけないから、相当に分厚くしっかりした素材だったのだが、それが破格で販売された。
ともかく、流行った、世界的に流行りました。
日本はむしろ遅れて入ってきました。
ヨーロッパは寒いですから、北欧の学生なども着たようですよ。
丈夫で、分厚く、洒落ていて使い勝手の良いコートは、まず寒い地域で売れた。例えばイギリスの首都 ロンドンなどは北海道よりも北に位置していて、緯度としては樺太のあたりになる。つまり現実的に外に出ると寒いのだ。寒いしエアコンが発達していないし、となれば服で体を暖めるのは当然となる。寒い地域で固いツイード素材に適した英国羊毛が多いのも、気候と結びついているように、気候と服は密接に結びついているのだ。
ダッフルコートはこうして後に日本で火がついたというわけだ。では、軍服である以前に一体このコートは何だったのだろうか。そもそもなぜ軍服に?そしてまだダッフルという名前が登場していないという。
その秘密は、あるイギリス陸軍将校が握っていた。
モンティという愛称は、モントゴメリー。イギリス陸軍将校でありました、全く服装に気を配らない。
1940年頃の写真です。
その名前は、英国陸軍将校の、バーナード・モントゴメリーから。モントゴメリーはモンティの愛称で。
写真でわかるように、ダッフルコートを着用している。随分とルーズなシルエットで、ボタン位置も高い。だが紛れもない本物のダッフルコートといえる。しかし格好良い。
それから、相当分厚い、強靭な素材に見える。表面も毛羽立っていて、荒々しい。そこが良いのだ。この無骨な、野性的な、男の服、鎧。だから語り継がれる、モントゴメリーも、ダッフルコートも。
海軍が着る前に着たのがこのモントゴメリー。このコートは貰ったのだという。
捕虜に、モントゴメリーは、紅茶飲ませたり。友達関係作ってから、下の人にはすごく優しい。
海上からダンケルク攻める。
そのためには陸上治めておかないと。
北アフリカの砂漠を。
モントゴメリーが、北アフリカの砂漠地方で、いよいよ引き上げるとき、地元の漁師が選別にくれたのです。ありがたい、と私服できた。
住民の漁師から貰った、荒っぽいコート。
(コートを着ると)バッチ(勲章)も見えないのですし、時は6月ですが、砂漠気候というのは、昼間暑い。
朝と夜はコートなしには過ごせない、極端な気候なんです。これは朝でしょうね。
だから、ジェネラルが普段着で着たから、海軍が導入しやすくなったのでは。
1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したのを受けて、イギリス、フランスが宣戦布告した。
こうして第二次世界大戦が始まる。ベルギー、オランダ、ルクセンブルクもドイツの支配下になって、戦いが大きくなっていった。になっていき
1940年5月にドイツ軍はイギリス・フランスの連合軍をフランスの港町、ダンケルクに追い詰め包囲した。凄まじいドイツの軍事力と兵士数に絶体絶命となる。
そこでイギリス首相チャーチルが、撤退という決断を下した。
この史上最大の撤退戦、ダンケルクの戦いは映画化されているが、モントゴメリの功績は小さくないといわれる。
ダンケルク包囲にも関わったエルヴィン・ロンメルは同じ1940年秋、イタリア軍はエジプトを侵攻したことをきっかけに、広大な砂漠でアフリカ戦線が展開される。巧みな戦略でたびたびイギリス軍を崩壊させ、砂漠の狐の異名をもつロンメルと常に対峙してきた北アフリカ戦線・第8軍の指揮官モントゴメリー。
砂漠というと何だかヨーロッパと距離感がありそうだが、ご覧のようにすぐ傍。
このあたりをどう侵略するか?という攻防なのであった。
モントゴメリーの直属の上司は、チャーチルであった。モントゴメリーは上司にははっきりと意見したのだそうだ。だが、下の人には優しい。捕虜にも、住民にも心配りを忘れなかったモントゴメリーは、地元の漁師からダッフルコートを貰ったのだった。
砂漠の朝は極端に寒いでしょう、これ、使ってくださいよ。
そしてそれを私服として着ていた、砂漠特有の朝の凍える寒さも手伝って。身分をひっけらかすように勲章を見せるでのなく、コートを着ていたのだった。それがきっかけで海軍の軍服になっていったのではないかということなのだ。
これ(ダッフルコート)はアメリカの服飾辞典からの抜粋なんですけれど、
ダッフルコートというのは、イギリスのネイビーのユニフォームで、戦争が終わって放出され、若者の間に流行したものである、辞書は多かれ少なかれそういう説明です。
第二次世界大戦、ブリティッシュネイビー、それはその通りなのですが。
ダッフルということから考えますと、何百年の歴史がある。
少なくとも400年から500年の歴史がある。
ということで、ついに原点が見えてきた。
地元の漁師が着ていた、つまり漁業に携わる方のコートだったのか?
でも、一体なぜダッフルというのか?
キップリングという英国の作家がいます。
1902年に、少年キムっていう物語を書いていますが、このなかにダッフルコートがでてきます。
1902年、これに近い(刺繍入りの)物だったんじゃないか。
なんと、1902年のラヤードキップリングの小説にダッフルコートがでてくるというのだ。
そしておそらく、そのダッフルコートは以下の、服飾辞典に登場する刺繍入りのコートだと推測する。
服飾辞典より、1850年のダッフルコートです。
非常に民族的です、ノルウェーの漁師が着ていた原型に近いのではないでしょうか。
北欧は日本の冬より寒く長い。
そしてテレビがない時代、夜、夜鍋するしかないんです。
こういうの(刺繍)は何日もかかるでしょう。
当時の原住民からすれば、それぞれ意味があったでしょう。
この刺繍におまじない、呪術的というと固いですが、現在でも新車買ったら成田山行って、お札を買う。
意味があったんだろうと。
海上安全ですか。
奥さん、恋人が、働きに出るご主人のために、刺繍をした。
針に願いを込めて、夜な夜なダッフルコートに刺繍した。船乗りの安全を祈願して。それは戦争に行く彼の首に、おまじないのようにアスコットクラバットを巻くように。
つまり、ノルウェーの漁師用のコートこそダッフルコートの原型なのだ。それはとても暖かい。船の上には強風が吹き荒れる。
この時、右から風が吹いてきたらパタッと右に打ち合いを合わせ、左から風がきたら打ち合いを左前に。メンズとレディース、ジャケットの前合わせが違うのは常識だと思うが、ダッフルコートは男女兼用という原点もこの、船乗りの寒さ対策が起点となっているのだ。
さらにいえば、厚手の手袋をはめて漁をしていても前を開けられるという優れもの。
ちなみにこの1850年ごろは刺繍入りの、自然な色、つまり現代のカラーでいえばキャメルカラーのようなダッフルコートだったのだそうだ。さらに遡ると、グレーになるという。
ナチュラルカラー、今の言葉でキャメルカラーのようなもの。
その前はおそらく、中世のダッフルはグレーだったと思います。
つまり一番汚れにくい。
コートにする前は(この素材は)何に使われていたかというと、昔の資料に盛んにダッフルブランケットということがでてきます。
なんと、ダッフルコートの以前、ダッフルブランケットがあったのだ。ブランケットなら縫製せずとも、端の処理だけをすれば使える。防寒として抜群のブランケット。それから、ナイトガウンとしても使われたのだそうだ。
ダッフルコート、ダッフルブランケット、ということは一体ダッフルとは何を意味しているのか?
後半へ続く。
後半はこちら
ライター:松 甫 詳しいプロフィールはこちら>>
表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。
2017年10月7日
ファッションアイテム | オーダーコート
タグ:服飾史, コート, 映画, 生地
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