待ちに待った3連続S氏
ドアが開くと、まるで空調20度で設定されている室内にいたかのような顔で、
ハウンドトゥースのツーピースをケロっと着て、最初のS氏は現れた。
ウォーキングを指導する法人を1年前に立ち上げ、
東北を中心に飛び回る忙しさだ。
ドアが開くと、やはり外は暑かったのだと実感できるように、
黒のポロシャツ姿で、ハンカチを片手に現れた。
ハンカチと一緒に、きちんとジャケットを羽織った一人の女性を連れて、ゆっくりと二人は席についた。
ジャケットを羽織った女性は後輩だ。
二人目のS氏と、連載しているネクタイの企画についての打ち合わせだ。
すぐに外出の予定があり、オフィスを出る前に荷物を確認した。
来た!届いている!
それはまたしても別の、本日3人目のS氏からだ。
もう出ないといけないのに、、、
どうしよう、開封せずにはいられない、
心が踊る、ドクドクと心臓の鼓動まで早くなっているのがわかる。
待ちに待ったジャケットが完成して受け取る日のようだった。
ビリビリビリッ
もう待ちきれない、
気がついたら手の方が先に動いていて、
少々乱暴に切れ目のない袋をちぎる。
福山通運の茶色い袋の上部はランダムに波打った心拍数計測器のような形になり、
ガボッと右手を突っ込んだ。
分厚い感触、あった!
掴んで引き抜くと、予想を裏切らないで、グリーンのそれは出てきた。
3人目のS氏は、海外の生地とテーラーを繋ぐエージェントだ。
入っていたのは、今季のバンチブック(見本帳)だ。
毎年この時期、次々と新しいバンチブックが届き、
そのたびにピッティウオモに来たかのように小躍りする。
ナポリやパリの最新のコレクションを見て、
あぁ、これはあの人に良さそうだ、とか、これはちょうどリクエストが入っている生地に近い、とか、
イメージが膨らんでくる。
福山通運の袋を破る瞬間が、
テーラーにとっての新作発表会という一大イベントだということを、
きっとコンシェルジュの小寺は知っていて、
私が見た後にすぐにバンチブックを眺めていた。
過去、M君というダークネイビーのスーツをこよなく愛するコンシェルジュと一緒に仕事していたときがあるが、
彼などは、バンチブックをめくるごとに、
「おぉぉぉ」とか歓声を上げていた。
スーツフェチである。
さらにいえば、
女性アルバイトクルーのNさん(現在は卒業)などは、
「代表、古いバンチブック貰っていいですか?」と半年に一回、狙ったように聞いてくる。
私はM君のような歓声は上げないが、
正直鼻息が荒くなる。
そのくらい、このS氏からの半年に一度の福山通運の袋には、
BMWのフルモデルチェンジくらい重要な意味があるのだ。
は!と我に帰り、その後、急いでジャケットの前ボタンを留めて、
バッグにちゃんと手帳が入っていることを確認して、慌てて外出する。
気分はすっかり秋冬だったが、
神宮前の裏路地にはミーンミーンとセミが合唱していて、
ジャケットを羽織っているのは周囲で私以外には見当たらなかった。
ライター:松 甫 詳しいプロフィールはこちら>>
表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。
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