ブルックスブラザーズ展に行けなかった人のためにブログでご紹介!200年の歴史とボタンダウンやアメリカのスタイル
松はじめです。
ブルックスブラザーズ展、さすが200年の歴史が詰まった展示、個人的に、久しぶりに感動した展覧会でした。
ブルックスブラザーズのレップタイは私も何本も持っていますが、数々の映画にも登場し、大統領や著名人もこぞってブルックスブラザーズを指名しました。
アメリカの上流階級向けアパレルブランドを創業し、歴史とともに刻んできた服はアート。
しかし、この展示は2018年11月30日まで。
今日はブルックスブラザーズ展に行けなかった・・という方も世界観を感じることができるように、様子をまとめてみました。
2018年11月30日まで文化学園服飾博物館で開催されていたのが、ブルックスブラザーズ200年展。
ブルックスブラザーズ誕生
創業者は、ヘンリー・サンズ・ブルックス。決して伝統に縛られる人間ではなかった、と解説されている。
ニューヨークの通りに豚が走り回っていた時代に、英国で仕立てた最新のファッションに身を包んでいたのだそうだ。ニューヨークに豚が走り回っていたのか・・それも驚きだが、戦後日本、焼け野原で電化製品の時代が来る!と言った松下幸之助氏のような大胆さ、ウォルトディズニーのように語り継がれる人物であろう。
なんでも、
「あなたがのクラバット(ネクタイの起源といわれている首の巻物)が欲しい!」と、見知らぬ人に呼び止められることも度々あったそうだ。
それで、1818年4月7日に、ニューヨークマンハッタンのキャサリンストリートとチェリーストリートの角地に小さな木造の紳士洋品店をオープンする。
ところで時を超えてヘンリー・サンズ・ブルックスと対面することができた。とはいえそれは横顔。
そのシルエットとともに、愛用のメガネが。
小さなレンズから壮大なビジョンが見えていたはず。
色あせた紙に書かれた文字、1818年の取引台帳が残っているなんて。
それによれば、1818年4月7日 最初の取引はブルックス家の友人、ダニエル・メリットへの10ポンドの貸付だったという。
シンボルのゴールデンフリース。
ブルックスブラザーズの店舗
ジョージ・ヘイワードが制作した版画の復元から1845年の店舗の様子。
なんと版画は1863年に制作されていたもの。
オープンしたお店は、新しいスタイルの服を、最高品質で、ファッショナブルかつモードにあつらえる!というテーマだったという。
新店のオープン広告。
1979年の海外初の凱旋店が東京だった。
これが、売り場。
ここに積まれているのスーツ、どんな状態だと思う?
これら、なんと裏!
ブルックスブラザーズの店舗では、顧客側が仕立ての技法をちゃんと目で確認できるように、とスーツを裏にして飾っていたのだそうだ。だから店舗に入って最初に飛び込んでくるのが、スーツというより裏。
よほど職人技に自信があったのだろう。
1966年までこの方法で販売していたのだが、英国王妃エジンバラ公フィリップ殿下が訪れた際に、乱雑に見えるから吊るした方が良い、とアドバイスしてこの陳列方法はなくなったのだそうだ。
このアドバイスは自然とうなづける。
上流階級のライフスタイルを垣間見る
新学期が始まりキャンパスへ戻るアイビーリーグの学生。1986年オータムカタログ、トラン・マウィッケ作。
アイビーリーガーのファッションがわかる貴重な資料だ。1936年から1989年までのブルックスブラザーズのカタログ表紙は、イラストだったそうだ。
こんなクレジットカードがあったとは!なんとスティーブマックーンも所有していたそうだ。
1950年代の英国製ピューターフラスコ。James Dixon and Sons社がブルックスブラザーズのために製造したという。
1950〜1960年代の人気アイテムだっというパイプセット。
1955年のタバコ。ベンソン&ヘッジスがブルックスブラザーズのために作ったもの。
中身をチラ見したい・・・
ブルックスブラザーズが紳士の嗜みを顧客向けにまとめたリトルブックシリーズ。ポロ、キツネ狩り、セーリング、ゴルフなどのルールやトロフィーなどが取り上げられているという。
上流階級のライフスタイルが垣間見得ない?
ブルックスブラザーズは大統領・著名人に愛されている
全身ブルックスブラザーズのフィッツジェラルドはグレードギャッツビーの作者。1925年の元旦に撮影された。
バスローブから靴下までブルックスブラザーズのアイテムのみを着用している、アンディウォーホル。
1957年、VOUGE誌に掲載されたという、ヴァッサーガールズ。
ヴァッサー女子大学の学生で、ブルックスブラザーズのシェットランドセーターを着ている。それもメンズ。
パンツはペダルプッシャーというパンツ。足元はローファーだ。
もしタイムスリップできるのならば迷わず選びたい1960年の日本。
ご存知アイビースタイルである。
日本のファッションクリエイターがブルックスブラザーズのスタイルを前衛的なトラッド!と取り上げ、東京の最新ファッションになった、と紹介されている。
そう、これこそまさに現代でも続いているアイビーなのだ。
ブルックスブラザーズの服
20世紀初頭に、創業者の孫、フレデリック・ブルックスがブルックスブラザーズのヴァイスプレジデントを務めていた当時の英国製生地を使用して、ニューヨークで製作されたという、モーニングコートスタイル。
今でこそモーニングコートといえば午前や日中の正装とされているが、もともとは乗馬服。
馬に乗りやすいようにフロントはカットされているわけだ。
馬に乗って訪問する。それが午前が多かったので、モーニングコートという。
モーニングコートの以前はニューマーケットフロック、フロックコートなどだった。
紳士はモーニングコートにトップハットを合わせた。
シルクハットと呼ぶことがあるが、もともとは素材はビーバーで、ビーバーハイハット、プラグハットなどの呼び名もあった。ビーバーの乱獲で素材が使用できなくなり、シルクが貼られるようになった。
展示されていた美しいトップハット。
フランクリンルーズベルト大統領が着用したオペラケープのレプリカ。
1945年のヤルタ会談。ウィンストン・チャーチル英国首相の横にいる、ルーズベルト大統領がブルックスブラザーズのケープを着用している。
ルーズベルト大統領2期目の就任式で、議事堂まで先導したスコードロンA部隊の制服。
これもブルックスブラザーズが手がけていた。
細部も凝っている。
海兵隊の制服。
ブルックスブラザーズは米軍の制服を製作。
将校などのためにデザインされた海軍のブリッジコートは、ピーコートのようだがひざ丈の長いコート。
アメリカのコメディアンで政治評論家、スティーヴン・コルベアが、中東訪問の時に注文した迷彩柄スーツ。
ブルックスブラザーズ 1940年のサックスーツたち
これが、1940年のサックスーツ。ニューヨークのブルックスブラザーズで製作されたものだそうだ。
非常にゆったりしているのが伝わるだろうか?
これは深い3つボタン段返り。1つ目のボタンは完全に折り返されている。
胸ポケットは、わずかにカーブしていて、立体感がある。
腰ポケットはアウトで、フラップがついている。
ステッチは7mmくらいか、かなり分厚い生地だからこういう仕様になるのだ。
それにしても雰囲気がある。
パンツの裾はダブルだ。
もうこのスーツ(サックスーツ)だけで見入ってしまった。
1950年に入ると、No.1サックスーツが登場した。こちらも雰囲気がある。
ナチュラルショルダー。
腰ポケットはフラップだ。
そしてフロントダーツもない、ゆったりとしたシルエット。
こちらも3つボタン段返りだが、やはり1つ目のボタン位置は高い。ボタンホールがこんなところに。
当時を垣間見ることができる貴重なアーカイブばかりだった。
ピンクのリネンスーツ。
こちらは華麗なるギャッツビーのためにキャサリンマーティンがデザイン、ブルックスブラザーズが製作した。
1860年に英国サヴィルロウのヘンリープールにエドワード7世が訪れ、食後の喫煙服を作ったというが、こちらはまばゆいカラーのベルベットのスモーキングジャケット。
なんと1967年に作られたもの。
海外のテーラーの大先輩が言うに、チェックに関して、ブルックスブラザーズ社のテーラークロージングの特徴で、前身頃はフロントダーツも細腹も取らないため、柄合わせが綺麗に収まるのだそうだ。
ラペルはショールカラーで、ほどよくワイド。
袖口は折り返されたターンナップカフ。これこそスモーキングジャケット。
くるみボタン。
とにかく、どこを見渡しても歴史が香ってくるものばかり。
1910年代製作のラクーンのオーバーコート。
ラクーンは、アライグマ。
海外のテーラーの大先輩から教わった話では、1920年代にかけ、ラクーンのコートを駆逐する勢いで、あるコートが大流行したという。
それがポロコート。
アメリカ東部の富裕層たちのスポーツ観戦用のコートとして流行ったのだそうだ。
レップタイは、いわゆるレジメンタルタイ(ストライプのネクタイ)と違い、右下がりになっている。
マサチューセッツのブルックススクールのネイビーブレザー。ちなみにブルックススクールとブルックスブラザーズは無関係。
ネイビーブレザー。こちらも学生向け。
20世紀初頭のフォックスハンティングジャケット。
上衿はチェスターフィールドコートのようなベルベットが。
4つボタンで、ハッキングジャケットの雰囲気。
1930年の乗馬ズボン。
ブルックスブラザーズの乗馬服は、乗馬を嗜む者がデザインしていたようだ。
1940年代のスキー用セーター。
1980年代のテニスウェア。
ボタンダウンのシャツたち
壁一面に、何が?
これは・・
オックスフォードのボタンダウンシャツじゃないか!
ブルックスブラザーズではポロカラーと呼ぶと聞いたことがある。
1895年に、接着された衿(アタッチドカラー)で、プルオーバーのスポーツシャツがあった。
これはソフトな衿で、ソフトな袖。
1948年のオリジナル ポロボタンダウン オックスフォードシャツ。
1950年代までのシャツは、Pop Over。
Pop Overは、アメリカではPull Overよりも一般的表現とはニューヨークで活躍するテーラーの先輩に教わった話。
胸ポケットもなし。
最初に販売されたファンシャツ。
ピンクも販売当初から発売されていた色。
ポロは非常に激しい動きのスポーツ。そこでネクタイが動くのを防ぐために、試合前に衿を縫い止めていたことがこボタンダウンのデザイン誕生のきっかけだったなんて話も・・・。
これもすごい。
1950年代、ブルックスブラザーズ シュミーズ ラコステのポロシャツ。
定番のブルックスブラザーズ ゴールデンフリース ポロシャツが発売される前に発売されたラコステとのダブルネーム。
これがコラボレーションの先駆けだったようだ。
1931年のスイムショーツ(水着)は2ピースで、スネークファスナーベルトを合わせて。
彼女たちが着ているコートは?
アルスターカラー、フレームドパッチ、そう、これは、あのポロコートなのだ。
1910年に、ポロコートを紹介したのはブルックスブラザーズ。それをミス・ボーターズ・スクールの女子学生がメンズ売り場で購入して、オーバーサイズのまま着ていたという。
分厚そうな素材、メンズ仕様で左前でボタンを留めている。
写真は1920年の写真ということで、ポロコート発売から10年目。
ボーイズコートをオーバーサイズで着こなす女性、彼女たちが2019年の東京を歩いていても違和感なく溶け込み、新鮮さすら感じる。
サドルのシューズまでかわいい!
まとめ
それはそれで間違ってはいないのだが、このブランドには歴史がある。
歴史があるということは、過去の政治的なできごとや、社会情勢、人々のライフスタイルとともに育ってきたということだ。そしてファッションが様々変わっていき、会社も経営統合を繰り返し、消えていくお店がある中で残り続けた、ということにはどんな意味があるだろう。
それはもう1つの文化だ。
古き良き時代の映画を見ると、アイビーというスタイルに出会うことができる。
例えばコーデュロイのジャケットを着ようと思った時に、お手本になるのはアイビーファッションで登場する主人公がいる映画だ。
アイビーは、上流階級が通うアメリカ8大学の学生たちが着ていた服でありスタイルである。
現代でもまったく古さを感じさせないスタイルに見えるわけだが、当然ファッション関係の人間、例えばデザイナーもアイビーから着想を得て新しくモダンな服をデザインしていることがある。
ブルックスブラザーズの服はまさにアイビーリーガーたちが着た服であり、歴代アメリカ大統領が着た服であり、古き映画の良きファッションとして登場するのもブルックスブラザーズなのだ。レップタイは、いわゆるストライプのネクタイだが、大剣側のストライプの向きが右上がりではなくて、右下がりになっている。
ブルックスブラザーズというとこのレップタイをはじめとして、数々のスタイルやストーリーがある。
ブルックスブラザーズ展、お目にかかれたのは貴重な服や小物とともに刻まれた文化。
当時のスーツがどうだったか?
どんなライフスタイルだった?
歴史の影に、ブルックスブラザーズは存在していたのだ。
ブルックスブラザーズ展に行けなかった方に、少しでも空気を感じていただけたら幸いだ。
ということで、ブレザーにはボタンダウンシャツ&レップタイを合わせて仕事に行こうか。
さて、明日は何着よう?
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眺めているだけでも楽しい!
今回の展示も紹介されているブルックスブラザーズの写真集
ライター:松 甫 詳しいプロフィールはこちら>>
表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。
2018年12月1日
イベント | ファッションイベント
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