タキシードの歴史《永久保存版》 由来は地名?タキシードはどうやって生まれたのか
オーダーサロン ボットーネの松 甫(まつ はじめ)です。
現代では、フォーマルというとタキシードを着る。
タキシードというと写真のような服だ。
007でジェームズボンドといえばタキシードだし、レットカーペットのような映画祭も、結婚式で新郎です、といってもタキシードが多いと思う。
そもそも、一体タキシードの歴史を考えてみよう、タキシードは、なぜ誕生したのだろう?
そして、このタキシードという言葉に、先住民族インディアンが関係していたことをご存知だろうか?
本日は、タキシードを着るジェントルから、結婚式場の衣装担当の方にもぜひ読んでいただきたい、タキシードの歴史・誕生秘話をお届けしたい。
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英国ではずっとずっと、後ろが長い着丈の燕尾服が着られていた。
オーケストラの指揮者の服をイメージすると燕尾服の姿が出てこないだろうか?
この服はウエストのあたりから後ろに切れ、ツバメの尾っぽに見える。
英語ではスワロウテイルというけれど、まさに燕の尾の服だ。
この服は夜にダンスをする時や、食事の時に着る服だった。
かのウィンザー公のお父様、ジョージ5世なんて、他人がいれば、それが2人で食事する時にだって必ず燕尾服を着たそうだ。
余談だが、アニメ・セーラームーンの中に、主人公級のキャラクターでタキシード仮面というのが登場する。
主人公のセーラームーンのお相手の紳士のような位置だけれど、実はタキシード仮面が着ているのはタキシードではなく燕尾服だ!主人公像を作る上では燕尾服の方がそれらしい。
もともとの正装はロング丈の燕尾服だった。
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1860年のことだった。
英国のテーラー街、サヴィルロウというのがある。
サヴィルロウにあるヘンリープールというお店に、来てはならぬあるお客が来た。
客はテーラーに言った。
《シンプルなスモーキングジャケットを作りたいのだが。》と。
スモーキングジャケットというのは、喫煙用の服。
食後に、ラウンジルールで男同士、タバコを燻らせるのだけれど、その時の服だ。
当時のスモーキングジャケットはベルベット素材で、袖は折り返している。どこか装飾的な服だったし、それが正しいスモーキングジャケット。
ところがそのジェントルは、もうちょっとシンプルなスモーキングジャケットを誂えたいという。
もちろん家着だ、寛ぎたい、ロングタイプでもなくて。
テーラーは客を見て驚いただろうし、その要望は絶対に断ることは許されないと思ったはずだ。
この記事を書いている私も小さなテーラーをやっているのだけれど、もし突然そのお方がやってきたらどうしよう・・・。
英国のテーラーにすごい客がやってきた。
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名を挙げるチャンスには違いない。
でも失敗したら、もうお店をたたまなくちゃいけなくなるかもしれない。
テーラーに訪れたその紳士というのは、英国皇太子、プリンスオブウェールズ、エドワード7世だった。
今であったとしても驚きだけれど、1860年に、なんと英国の皇太子が街のテーラーへ出向くなんてとんでもないことだ。
日本で考えたら、天皇陛下が銀座シックスでショッピング?というような感覚というと少し語弊があるだろうか。
兎にも角にも驚きの出来事だったわけ。
そもそも皇室の方なら、テーラーを呼ぶことはあっただろう。
けれど、お店に出向くなんてこと、ないはず。
だけれど、エドワード7世という方はそのくらい、誤解を恐れずにいえば異端児だったようだ。
・・・
19歳くらいですね。
もっとシンプルなスモーキングジャケットつくりたい、と。 ヘンリープールの歴史を書いた中に、
我が店に来て、テイルレスイブニングを注文した、とある。
ダークブルーだったという説があります。
講義:銀座ファッションアカデミアより
ヘンリープールというのはサヴィルロウの今となっては老舗・テーラー。
テイルレスイブニング、つまり尾っぽのない夜会服=タキシードの原型だ。
英国皇太子がスモーキングジャケットを作る。
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6年後の1866年、アメリカの金融専門家、ブラウン・ブラザーズ・カンパニーのジェームス・ブラウン・ポッターという方が皇太子に招待された、英国の、サンドリンガムに。
ブラウン・ブラザーズ・カンパニーの共同設立者ジョージブラウン。
ブラウンブラザーズは、1818年にペンシルバニア州フィラデルフィアで、メリーランド州ボルティモアに会社を設立した元アルスターリネントレーダーAlexander Brown(1764-1834)の息子、写真のジョージブラウンとジョンブラウンによって設立された金融業だ。
サンドリンガムとはどんなところだろう?
さて、なんとそんな温暖なサンドリンガムの土地をポケットマネーで買った。
なんと、1863年2マンエーカー(81キロ平方メートル)の土地、
東京ドーム1,738個分の土地を、ビクトリア女王が買ったのだそうだ、ポケットマネーで!
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ポッターとエドワード7世が会う日は来た。
ポッターはアメリカからやってきて、そこにエドワード7世がやってきた。
ポッターは窮屈な燕尾服でいつも通り姿勢正しく食事をした。
食後はラウンジルームに行き、男同士の喫煙タイムだ。
その時にポッターはおそらく見せられたに違いない、
燕尾服の上着から、今までに見たこともない、シンプルなタバコ用の服スタイルのエドワード7世を。
《おぉっ、素敵な服ですね!見たことがない。その服はなんでいらっしゃいますか?》
1889年のディナージャケット。
2つボタン、前ボタンは部屋着なので留めず、ガウンのように羽織るタイプ。
公式な服ではないから白いボウタイではなく黒いボウタイにしているのだろう。
そして黒いボウタイ以外は燕尾服と同じ着こなしだ。
・・・
講義:銀座ファッションアカデミアより
・・・
ふわっと羽織ったショールカラー、部屋着に相応しい寛ぎがあって、先ほど食事をしていた時までの正装、燕尾服とは違うショート丈、知っているスモーキング・ジャケットよりシンプルな短い丈の素敵な服・・・。
こうしてポッターの頭に、英国最新トレンドはこの服!とインプットされた。
アメリカの皇太子のお客が、スモーキングを見た!
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実はポッターは、アメリカのある家の資産運用をしていたようだ。
ある家とは、タバコ王といわる、ロリラード家。
タバコ産業ではマルボロでおなじみのフィリップモリスも有名だが、キャメルで有名なレイノルズが2015年、ケントを保有しているロリラードを買収している。
2017年現在は英国 ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)がそのレイノルズと経営統合している。
ピエール・ロリラードはその昔、フランスからアメリカにやってきた。
1,735年に噛みタバコビジネスが当たって、財を成した方だ。
当時、噛みタバコ・ケースまでも大流行し、良いケースだと車1台買えるほどだった。
高価な理由はもちろん宝石付き。
お洒落紳士として今でも有名なボウ・ブランメルも嗅ぎタバコ・コレクションをしていたのだそうだ。
現代でもシガー・バーに行けば必ずといっていいほどスリーピース・スーツを着こなした紳士に遭遇するけれど、当時の紳士はお洒落して、嗅ぎタバコを鼻の穴に入れて擦り付けて愉しんでした。
スモーキングジャケットを見たポッターは、アメリカのタバコ王ロリラードに関わっていた
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ロリラード家は鉱山があったところの、土地保有権を取得した。
そこにハンティング場を開いた。
最初は12エーカー、東京ドーム1個分くらい。
今も美しいオレンジ州のそのあたりは、湖もあって森があって、川が流れていて、小動物たちがいる、まさにハンターのツボをついた場所だ。
それから、宿泊できるようにコテージを立てた。
これがなかなかヒットしたものだった。
最終的にはこの一帯をフェンスで囲い、高所得者で白人のみ、お住まいの方しか入れないというエリアにしてセレブたちを引きつけた。
要するに日本で考えれば軽井沢のような別荘地にしていった。
ロリラードは高級別荘地をつくった
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ロリラード家5代目はなかなか遊び好き、粋な方なだった。
5代目ロリラード、グリスウォルド・ロリラード。
せっかく裕福な方が集まるエリアもあることだし、流行のスポーツ(ハンティング)の場所もあってお洒落好きが集まってくる。
では、会員制クラブのようなのを作って、パーティーを開催しようか。
5代目は社交クラブを作ることにした。
高級別荘地に社交クラブを作る構想が!
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さて、先ほど登場したポッター。
英国とアメリカを何度も行き来していた、ジェームス・ブラウン・ポッターは当然のようにこの社交クラブのメンバーになったのだけれど、同時にロリラード家の金融の担当、現代でいうプライベートバンカーのようなことをやっていたほどロリラードと密接な付き合いがあった。
ポッターは結局3回も英国に行って食事会に参加している。
そんな英国で皇太子と食事しているポッターが話さないはずがない、あの短い丈のタバコ・ジャケットのことを。
《ところで、知っています?英国の最新の服を・・・》
ポッターが英国で食事をした19年後、ついにその日はやってきた。
1885年10月10日、第一回社交クラブ発足パーティーである。
10月10日オープニングパーティで英国の最新の服を着ようか?
さて、発足パーティである。
第一回ということもある、これからこのクラブの発展もかかっている、身なり、着る服はそれは大事だ。
どのような服装にしよう。
まず、もちろん女性はイブニングだろう、これはOK。
男性陣は?
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普通は燕尾服で統一するよな、、
それが常識だろう?
でも、せっかくなのだから、全員一緒の英国式の新しい服にするというのはどうだろう?
燕尾服のようなピークドラペルのミリタリーな上着ではなくて、
ショールカラーの、寛いだスモーキングジャケット、
まさにタバコ産業の象徴ではないか。
イギリスの最先端の流行の服、
色は燃えるような真っ赤な上着にしよう。
1人ではなくて、メンバー全員統一した。
もしかしたならば、割と学園祭のような勢いで決まったのかもしれないが。
とにかく、全員赤い、短い、ショールカラーのジャケットは羽織ろう、となった。
制服のようなものでもあるし、おそらくアメリカ国内で作ったのだろう。
《君、赤いショールカラージャケットを30人分を誂えてくれ》と。
この時、この服に、まだ名はない。
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実は、初代ロリラードが財を成して、この広い鉱山があった一帯、ハンティングプレイスにできそうな土地を見た頃、ネイティブアメリカン、というとアメリカ生まれという広義な感じがするので踏み込んでいうと、先住民インディアンがこの土地の名前をつけていた。
インディアンA:タックシットだ。
tuck stという、インディアンの1民族、アルゴンキン族の一人はこう言った。
なるほど、タキシードですか!
なんと、そこはタキシードという地名だった!
アルゴンキン族が言う、タックシットとは、一体?
・・・
それはまわりくどい話、狼が居る場所だと。
土地の人はその土地を見分ける、獣の足跡でいうんですね。
熊の足跡と、狸の足跡と、狼の足跡とは違うのだそうです。
講義:銀座ファッションアカデミア(専任講師出石尚三先生)より引用
・・・
私の妹はニューヨークに住んでいるのだが、マンハッタンというのは、アルゴンキン語族の言葉で、意味は丘の島だと聞いたことがある。
アメリカという国にはそもそも先住民がいる。
その後、イギリス、ドイツ、フランス、様々な国から逃げてきた移民が作った国といっても過言ではない。
例えば鉄鋼王アンドリューカーネギーはスコットランドから、石油のジョン・D・ロックフェラーはドイツから。
それでそれ以前から住んでいたネイティブアメリカン、要はインディアンはその地に根ざして自然と共存しながら暮らしていた。
海の水を飲むのは良くないとか、タバコの作り方はこうだ、トウモロコシの作り方はこうだ、など、彼らが教えてくれた。
インディアンは土地のことをよく知っている。
余談だが私の友人は札幌に住んでいるのだけれど、学生時代アイヌの友達がいたと言っていた。
彫りが深くて、男性はイケメンだし、女性は美人なのだとか。
そんな北海道には何とも不思議な地名がある。
長万部(おしゃまんべ)は、アイヌ語でカレイのいるところだという。
知床(しれとこ)は、アイヌ語で大地の先というような意味だと聞いたことがある。
ということで、なんとタックシットとは、狼が居る場所だよ、ということを意味する、
3つの穴のある足跡、ということをインディアンは地名を通して伝えたかったのだろう。
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この村はニューヨーク州ロックランド郡と国境に近いオレンジ郡にあり、ラマポ山地にある。
3つの穴のある足跡、
狼のいるような場所なのだから、穴場ハンティングゾーンだったのは間違いない。
コテージの次に、高級別荘リゾートのような位置としてタキシードパークもセレブの心をつかんだ。
タキシードは現在でもいわゆる高級住宅街としても有名だ。
さて、当時そこに5代目は、クラブを作った。
名付けて、タキシードクラブ。
その記念すべき初回のパーティーの日がやってきた。
タキシードクラブのオープニング・パーティは、10月10日に行われたことは有名な話として残っている。
この日、紳士たちはみな揃えて着た赤いショール・カラーのジャケットを着た。
そのジャケットがいつしかこう呼ばれた。
タキシード、と。
・・・
男性用の夜会服は現在タキシード(時に正式にはブラックタイと呼ばれています)として知られていますが、その名前はタキシードパークの名前です。これは、プリンスオブウェールズ(後のエドワード7世)より伝えられていたジェームス・ブラウンポッターがもたらしました。
ウィキペディアより引用
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タキシードパークに、1855年にタキシードクラブができて、新しい服ができた。
おそらくまだ呼び名はなかったが、タキシードと呼ばれたであろう赤い服。
本格的にアメリカでタキシードという言葉が唱えられたのはいつ頃なのだろう?
これが、言葉としてのタキシードのはじめてではないか。
そのあと、1894年のナーパスマガジン9月号に、1部のものに散見される。
それがアメリカで使われた早い段階では?
英国ではあまり使われなかった。
一般的にはドレスラウンジという言葉が多かったようです。
講義:銀座ファッションアカデミアより
・・・
こうしてアメリカの地名は洋服の名前になる。
ただしこれはアメリカでの呼び名であって、現在でも英国の方と話していると、タキシードとは呼ばない。
ディナージャケットと呼ぶ。
それはヘンリー7世がタバコ用の服を作ったのだけれど、それを着て食事をしても良いじゃない。だって、燕尾服は暑いのだから、とディナー用の服・燕尾服>ディナー用の服・ディナージャケットと変化させたからなのだ。
諸説あるタキシード誕生秘話だけれど、歴史のあるものは辿ってゆけば数々のストーリーがある。
ヘンリー7世が考えたであろう服を、お咎めなく着ることができる現代、タキシードを着る機会が増えると良いな、とふと思ったのだった。
ある人はタキシードといい、またある人はディナージャケットという。
通な人はスモーキングといい、さらに通な人はカウズコートという。
さて、明日は何着よう?
ライター:松 甫 詳しいプロフィールはこちら>>
表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。
2017年8月28日
フォーマル | オーダータキシードの歴史
タグ:服飾史, タキシード, 映画, イギリス, 保存版
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