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紳士なら知っておきたい!なぜパナマハットと呼ばれるのか?

ボルサリーノ パナマファイン
オーダーサロン ボットーネの松 甫(まつ はじめ)です。

夏の紳士はパナマハットをかぶる。

1920年、イギリスイタリア、日本、夏になると紳士はパナマをかぶるのが常識になった、当時、目が飛び出るほど高級だったのだけれど。

さて、そんなパナマハット、パナマ運河という場所は聞いたことはあるけれどそのパナマで作っているのかといえば、違う違う、エクアドルだ。

エクアドルの北で、日本の伝統工芸品のようにパナマハットは手仕事で作られていたパナマハット。
パナマハット・ブームの絶頂期には世界の120カ国にパナマハットは輸出される。
人口たった1000万人ちょっとのエクアドルの、なんと25万人もの人がパナマハット製作に携わった。

ITバブルならぬパナマハットバブルだ。
そんなパナマハット。
パナマハットというとパナマ運河と関係していると言われている、何がどうしてそうなったのか?
エクアドルで作っているのになぜパナマ運河?
そもそもパナマハットって?

今日は出石尚三先生の講義、英国から来た流儀から、そのあたりを解説したい。

 

パナマ運河?


パナマ運河とパナマハットの関係
まず、パナマ運河はこの赤い印の場所にある。
そしてパナマハットを作っていたのがそこから南下したエクアドルという国だ。
エクアドルはコロンビアとペルーに挟まれた、赤道直下の国。
そもそもエクアドルという言葉自体が《赤道直下》という意味なのだけれど。

パナマハットを作っているのはエクアドルという国


エクアドルは日本の本州くらいの大きさの国で、1000万人くらい。
首都はキト。
コーヒー豆がとれ、バナナも有名、宝石もとれるし原油も出る。
赤道直下だけど標高も高いから涼しいという、稀にみる条件の揃ったなかなか良い国なのだ。

本州に、日本の1/10の人が住んでいて、食べ物も美味しく物価も安い。
感覚でいえば四国のようなのどかな感じととれないだろうか。

 

パナマ運河はなかなか骨の折れる工事だった


パナマ運河

パナマ運河は、大西洋とカリブ海を結んでいる、運河。
パナマ共和国の地峡を開削して作った運河だ。

これは青函トンネルではないけれど、大変な工事だったのだそうだ。
1880年代に、パナマ運河の工事を引き受ける!とフランスは名乗り出た。

フランスはパナマ運河工事をスタートさせたものの思った以上に難航した。
その1つの原因は病気だったとも言われている。

刺されたら病気になる、免疫がなければ。
現代でもウェブサイトを見れば明らかだけれど、マラリア、デング熱など感染病が怖い地域ではあるのだけれど、当時の黄熱病に悩まされる。

結局、資金面の問題も重なり、フランスはパナマ運河プロジェクトからギブアップし、その後、アメリカがそのプロジェクトを受け継いだ。

そこにルーズベルト大統領がパナマハットを!

ルーズベルト 彫刻

フランス撤退の教訓をしっかり学んだのだろう、まずやったのは徹底的な害虫駆除だったのだそうだ。
それから工事をはじめた。

こうして1834年、パナマ運河建設の現場に、ルーズベルトが視察に来た。
このときにルーズベルトはハットをかぶっていた。
パナマハットを。
どうやらこうしてパナマハットと呼ばれるようになったという説もあるけれど。

1699年11月に、スコットランドの人が新しい国を作ろうとやってきた。
パナマというのはかなり昔からヨーロッパ文明のスタイルの入口だったんじゃ?

日本でもセレクトショップといういうものがあります。
以前は洋品屋と言っていました。
もっと前は唐物屋(とうぶつや)。

(品物が)イギリスから入ってこようと、スペインから入ってこようと、唐物屋。

江戸時代は鎖国していたから、堂々といえなかったのでしょう。
だから、唐(中国)から来た、というものは緩やかというか。

ですから、日本でも唐物屋という言葉があったように、言い換えしているのでしょう。

パナマハットっていうのは、異国のもの。
それをパナマ経由で取り入れたんだ、と。

・・

 

 

 

パナマハットはマナビが発祥

エクアドル

学生の時にまず仕事に就こうとして開くウェブサイトはマイナビかもしれないが、パナマハットの誕生を追うと最初は、マナビという場所で生まれたのだようだ。

昔からマナビ県で作られていたパナマハット。
地産地消という感覚で、自分たちのかぶる帽子を自分たちで作ろうよ、と作っていたのだった。
ずっと門外不出とされたその技術は、その後、1790年頃に現在の首都のキトに技術を継承される。

エクアドルの首都

すべて手作業でパナマハットは作られた。
それに、一人が1から100まで作るのではなくて、全てが分業なのだ。

次第に技術は南下した

不思議なもので、北半球で栄えた経済が南半球にスイッチしたように、1835年には南の方へ技術が継承されていった。パナマハット作りの技術も、エクアドルの南、アスアイ県に伝わった。
こうしてエクアドルといえばパナマハット!というくらいにご当地の帽子となったパナマハット。

帽子 製作

すべて手作業のすべて分業です。
刈る人は刈る人だし、運ぶ人は運ぶ人。

標高が高く、今でも車もどうかと。
そこでリャマをつかったのではないでしょうか。
高山ですから、リャマとかアルパカとか、一部ですけどビキュナなもいるのです。
ビキュナは人に慣れませんが、リャマやアルパカは人に慣れます。
1835年、そういう時代には車ではないですから、
リャマなどに乗せて、五右衛門風呂のようなのがあって、煮沸し、干して、編む。
全部分業。だから高いのですね。
そういうことで門外不出だったものが、キト、アスアイに移る。

講義 英国から来た流儀より出石尚三先生

アスアイの少し北上したクエンカというところに、1845年に帽子の寺子屋のような学校ができたそうだ。
こうして後継者を育成するほど人気が高まっていく、あることがきっかけで。

ずっと輸出されることもなかったパナマハットは、そのあるきっかけで1860年代、近隣国に輸出するようになった。

1890年代にはアメリカにも輸出される。

そして船便であることをしたところ、それが高級品の証になってしまったのだ!
それは・・・?

次回に続く

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松 甫松 甫 記事一覧はこちら>>表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。

2017年8月24日
ボットーネ 松のスーツ・ジャケットスタイル365 ありのままブログ | 背広紳士の知識
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