オーダースーツ・オーダータキシード 東京 BOTTONE(ボットーネ)

あなたのスタイルコンシェルジュ ボットーネ 問い合わせ
明日は何着よう?松はじめのスーツの着こなし術

なぜパナマハットと呼ばれるのか? ボルサリーノで有名な紳士帽の誕生秘話

ボルサリーノ パナマファイン
オーダーサロン ボットーネの松 甫(まつ はじめ)です。

夏の紳士はパナマハットをかぶる。

1920年、イギリスイタリア、そして日本の紳士は、夏になるとパナマハットをかぶった。

当時、目が飛び出るほど高級だった。

さて、そんなパナマハット、パナマ運河のあるパナマで作っているのかといえば、違う。

一体なぜパナマで作っていないのにパナマハットと呼ばれるのか?

結論 パナマハットの呼び名

結論を言うと、パナマ運河を経由して入ってきた異国の帽子!

だからパナマハットと呼ばれている。

作っていたのはエクアドル。

また、1834年、パナマ運河建設の現場に、ルーズベルトが視察に来たときにパナマハットをかぶっていたから、という説もある。

パナマハットがどうやって誕生したのか追ってみよう。

パナマハットはエクアドルの北で作られた

エクアドルの北で、日本の伝統工芸品のようにパナマハットは手仕事で作られていた。

パナマハット・ブームの絶頂期には世界の120カ国にパナマハットは輸出される。

人口たった1000万人ちょっとのエクアドルの、なんと25万人もの人がパナマハット製作に携わった。

ITバブルならぬパナマハットバブル。

パナマ運河の場所


パナマ運河とパナマハットの関係
パナマ運河はこの赤い印の場所にある。

そしてパナマハットを作っていたのがそこから南下したエクアドルという国だ。

エクアドルはコロンビアとペルーに挟まれた、赤道直下の国。
そもそもエクアドルという言葉自体が《赤道直下》という意味なのだ。

エクアドルとは

エクアドルは日本の本州くらいの大きさの国で、1000万人くらい。
首都はキト。
コーヒー豆がとれ、バナナも有名、宝石もとれるし原油も出る。
赤道直下だけど標高も高いから涼しいという、稀にみる条件の揃ったなかなか良い国なのだ。

本州に、日本の1/10の人が住んでいて、食べ物も美味しく物価も安い。
感覚でいえば四国のようなのどかな感じととれないだろうか。

パナマ運河の工事は骨が折れる作業

パナマ運河
パナマ運河は、大西洋とカリブ海を結んでいる、運河。
パナマ共和国の地峡を開削して作った運河だ。

大変な工事だった。

1880年代に、パナマ運河の工事を引き受ける!とフランスは名乗り出た。

フランスはパナマ運河工事をスタートさせたものの思った以上に難航した。
その1つの原因は病気だったとも言われている。

刺されたら病気になる、免疫がなければ。

今も、マラリア、デング熱など感染病のリスクがある地域で、当時の黄熱病に悩まされた。

結局、資金面の問題も重なり、フランスはパナマ運河プロジェクトからギブアップし、その後、アメリカがそのプロジェクトを受け継いだ。 

そこにルーズベルト大統領がパナマハットを

ルーズベルト 彫刻

アメリカはフランス撤退の教訓をしっかり学び、まず徹底的な害虫駆除をしてから工事をはじめた。

1834年には、パナマ運河建設の現場に(おそらく激励をしに)ルーズベルトが視察に来た。

このときにルーズベルトはハットをかぶっていた。
パナマハットを。
こうしてパナマハットと呼ばれるようになったという説もある。

パナマ運河経由で入ったからパナマハット

しかし、歴史的に見ても地名とは関係のない製品名やお店というのがある。

昔、日本ではセレクトショップのことを、洋品屋と呼んでいた。

洋品屋をもっと昔は、唐物屋(とうぶつや)と呼んでいた。

江戸時代、日本は鎖国をしていたので、イギリスから品物が入ってきても堂々とイギリス物!と言えなかったのだろう。

イギリスから入ってきても、スペインから入ってきても、唐(今の中国)の国から来たということにしていたようだ。

また、今私たちが着ているスーツ。

もともとはスコットランドの労働着が楽に着れそうだ、ということで、貴族のくつろぎ服になった。

さすがに労働着とはいえないので、スコットランドの地名を名付け、ディサイドジャケットと呼んだという話もある。

パナマハットはマナビが発祥

エクアドル

パナマハットは、マナビという場所で生まれた。

昔からマナビ県で作られていたハット。

地産地消という感覚で、自分たちのかぶる帽子を自分たちで作ろう、と作っていたのだった。

ずっと門外不出とされたその技術は、その後、1790年頃に現在の首都のキトに技術を継承される。

エクアドルの首都

すべて手作業でパナマハットは作られた。
それに、一人が1から100まで作るのではなくて、全てが分業なのだ。

1835年には南の方へ技術が継承されていった。

パナマハット作りの技術も、エクアドルの南、アスアイ県に伝わった。
こうしてエクアドルといえばパナマハット!というくらいにご当地の帽子となったパナマハット。

帽子 製作

すべて手作業のすべて分業です。
刈る人は刈る人だし、運ぶ人は運ぶ人。

標高が高く、今でも車もどうかと。
そこでリャマをつかったのではないでしょうか。
高山ですから、リャマとかアルパカとか、一部ですけどビキュナなもいるのです。
ビキュナは人に慣れませんが、リャマやアルパカは人に慣れます。
1835年、そういう時代には車ではないですから、
リャマなどに乗せて、五右衛門風呂のようなのがあって、煮沸し、干して、編む。
全部分業。だから高いのですね。
そういうことで門外不出だったものが、キト、アスアイに移る。

服飾評論家 出石尚三 先生

アスアイの少し北上したクエンカというところに、1845年に帽子の寺子屋のような学校ができたそうだ。
こうして後継者を育成するほど人気が高まっていく、あることがきっかけで。

ずっと輸出されることもなかったパナマハットは、そのあるきっかけで1860年代、近隣国に輸出するようになった。

1890年代にはアメリカにも輸出される。

そして船便であることをしたところ、それが高級品の証になってしまったのだ!
それはこちらの記事で。

まとめ

パナマハットは、エクアドルで作られていた地元の帽子。

それが世界で大流行した。

その時に、パナマ運河を経由して入ってきたために、パナマハットという名前になった。

パナマ運河の工事は害虫との闘いで、難航した。

視察にやってきたルーズベルト大統領がかぶっていたのは、パナマハット。それでパナマハットと呼ぶという説もある。

夏はパナマハットをかぶってみようか。

さて、明日は何着よう?

  • この記事が気に入ったら いいね! しよう

松 甫松 甫 記事一覧はこちら>>表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。

2017年8月24日
ファッションアイテム | ハット
タグ:, ,

  • オーダースーツ オーダータキシードのボットーネ
  • リメイクできるタキシードオーダー

おすすめ記事

Recommended Articles

  • オーダースーツ オーダータキシードのボットーネ
  • リメイクできるタキシードオーダー

Recent Articles