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ホンブルグを調べてみた結果!ドイツ名の中折れハット、チャーチルとイーデンも愛した帽子

オーダーサロン ボットーネがお届けするビジネススーツ&フォーマル通信。

松はじめです。

真ん中がへこんでいる、中折れタイプの私がかぶっている帽子、ホンブルグといいます。

なんでも、ホンブルグはドイツの地名らしいのです。

なのにドイツではホンブルグのことを、ヴィッチェルというのです。ヴィッチェルというのは柔らかくした、という意味。それでホンブルグに触ってみる、すると触ったことがある人はわかると思うのだが決して柔らかくありません。

チャーチルも愛したホンブルグ、一大ブームになった帽子。
一体この帽子にはどんな秘密が隠されているのでしょう。
今日はホンブルグを追ってみます。

この記事の目次

イタリアではロッビアという

ホンブルグのイタリア語

1910年代のイタリア資料。(フレチェットという帽子メーカー)

ホンブルグはなぞだらけなのに、よく見る帽子である。

資料のように1910年にはこぞって各メーカーが発表している。

ところでイタリアではホンブルグを何というのか?を調べてみるとなんとも面白いこの帽子の形状が生まれたあるストーリーに出会うことができる。

イタリアではロッビア(lobbia)という。
意味は2つあって、広い意味では中折れ帽子全般のこと。これは日常会話でも使う、良いロッビアだね!のように。

帽子は大きく2つのカテゴリに分けられる。ハード(硬い)ハットか、ソフト(柔らかい)ハットか。そのソフトハットを総称してもロッビアというのだ。

殴られて生まれた形

1つ前の写真とほぼ同じ時代でありながら、ちょっと雰囲気が違う。巻きが違う。端の処理も違う。クリースの入れ方も違う。ブリムをどう処理するか、とにかくいろんなタイプのホンブルグがある。

ロッビアの話だが、もうちょっと狭い意味では、ロッビアはホンブルグ・ハットのことを意味している。

ホンブルグという帽子は、形に特徴がある。いわゆる真ん中がぽかっとくぼんだ、中折れタイプの帽子。

一体このぼかっとしたくぼみは何なんだろう?と思ったことはないだろうか?

実はこの形、1864年に生まれたといわれてる。

イタリアの代議士、ロッビアが生みの親だ。

ロッビアという代議士は、労働争議の結果、ヒートアップした人々からステッキで殴られた。
頭をなぐられた、その時に帽子の中心がぼかっと折れてしまった。
だがロッビアはその帽子をかぶり続けた。
見てくれ!俺はこれだけ本気で政治に携わってんだ!この帽子が物語ってるぞ!と。

ステッキでなぐられて真ん中がくぼんでしまった帽子をかぶりロッビアは堂々と歩き続けた。どうやらこれがこのタイプ、中折れ帽のスタートのようだ。

ホンブルグは地名

では、フランスではホンブルグは何と呼ぶのだろう?

パリでは1890年代からパリでもこの帽子が流行った。
その時にはホンブルグという呼び名は確立されていたのに、ホンブルグとは言わなかったのだ。フランス人はホンブルグとは言わなかった。

ホンブルグはドイツの温泉地、地名なのだ。

ドイツとフランスは仲がいいとは言い難い、ナチスに占領されていた過去もある。フランス人はホンブルグって言葉はドイツの地名だとは知ってたのだろう、だから使いたくなかった。
1940年以降はフランスではエデンと呼ばれるようになった。
それ以前は、シャポムーと呼んでいた。
シャポムーは、柔らかい帽子を意味している。

おかしい、柔らかい?

触ってみるとそんなに柔らかくない。
なぜこの帽子は柔らかい帽子として誕生したのだろう?

プリンスオブウェールズがホンブルグをかぶっている

フランス国境にも近い、ホンブルグ。どうやらかのプリンスオブウェールズが関わっているという。

ホンブルグを追うと、イギリス、ドイツ、フランスのある事情が見え隠れするのだった。

プリンスオブウェールズ

1890年ごろのプリンスオブウェールズ。かぶっているのはホンブルグ!

どうしてホンブルグが生まれたのか。

それは、1888年の4月。

当時、ドイツのホンブルグにチェレネアの帽子工場があった。

この工場ではチロリアンハットを作っていた。
チロリアンハットはチロル地方の民族衣装、レザーの半ズボンの上に被る、ツバが広い民族衣装のうえに被る帽子、それを作っていた。

ホンブルグの帽子職人たちは、イギリスの皇太子に新しい帽子を送ることにした。
そして皇太子様なのだし、クラウンの高い帽子にしよう。と山を高くしてブリムを低くする木型を作った。

英国皇太子を感慨するうえで、帽子を献上しようと、新しいチロリアンハットの製法を利用して作った帽子がホンブルグである。

もっと細かく追ってみよう

ヴィルヘルム1世

3月9日に、ウィルヘルム1世(プロイセンの王、現在のドイツ)がお亡くなりになった。

先ほどから登場する英国皇太子、エドワード7世なのだが、父はアルバート公というドイツ人で、母はご存知のエリザベス女王、英国人。

ドイツと英国のハーフ、というとわかりやすい。
さらに姉がいて、ドイツに嫁いでいる。
そんなわけでドイツと英国というのは交流があったのだ。

だからドイツのウィルヘルム1世の葬儀となれば、当然ながらエリザベス女王が行くべきくらいの葬儀だ。
ところがアルバート公に先立たれたエリザベル女王は、ずっと黒い服を着て藻を表し、誰にも会わない時期が続いていた。

そこで、長男のエドワード7世はドイツの葬儀に参加したというわけだ。

洒落者エドワード7世 温泉へ!

旅行用帽子バッグ

ホンブルグハット用のバッグ。ツバをつぶさないようにバンドで止める。旅行者は替え帽子を持っていくから、ホンブルグハット用のカバンが存在した。

このエドワード7世、とにかく洋服と女性が大好きという洒落者だったのはとても有名な話だ。

そして堅苦しいことが大嫌い。

やれやれ、早く葬儀を抜けてドイツの温泉にでも雲隠れしようか、と思ったのではないだろうか。
ドイツの温泉はベルリンからそう遠くない、ちょうどホンブルグの周辺だ。
エドワード7世は葬儀に参加したあと、ホンブルグに行く。

そのホンブルグの近くにはチロリアンの帽子工場があった。
帽子工場は、《ぜひとも私たちの帽子をかぶっていただけませんでしょうか?》と帽子をプレゼントしたという。
当時、皇太子様に私たちのものをご献上!というのは珍しいことではない。

もし献上して名前が有名になったらこんなに嬉しいことはない。
もちろん直接手渡しするわけではなく、お付きの人に渡すのだが。

フェアエルセーターという、フェアエル島の手編みのニットなんかもずっとフェアエル島の人たちは王室に送っていました。1922年にスコットランドの名門のゴルフ上で着てくれ、話題になったことがありますが、献上したから全部皇太子様が着てくれるわけではありません。

銀座ファッションアカデミア 専任講師 服飾評論家 出石尚三先生の講義より

身につけるものや食べるもの、毎日たくさんの献上品が届くのだから、全部に対して目をかけるなんてことはできないわけだ。そんななか、一体なぜ帽子に注目されたのだろう?

ホンブルグというネーミング

さて、どうして帽子に注目したのか、も疑問だが、なんでホンブルグという名前になったのか?というのも疑問が残る。実はここに国の事情があったようだ。

当時の、皇太子のお付きの人は考えた。
帽子屋がなかなかの帽子を持ってきた。
皇太子も最新ファッションが大好きだ。
間違いなくお気に召されるだろう。

この当時、プロイセン(現在のドイツ)の首相はビスマルクだった。ビスマルクは軍人出身。
首相が軍人になると、軍事予算は次々と上がっていく、無限というほどに跳ね上がっていった。

ドイツはこれを良いことに次々に攻撃を仕掛ける。

当時のプロイセンの首相はビスマルクなんです、軍人なんです。

ビスマルクを首相にしたんです、首相にしたのはいいんだけど、無期限軍事予算、首相が軍事予算を勝手につけられるようになりました。

ドイツから攻められ、困ったのがフランスやオーストリア。

ドイツはどんどんフランス攻めてます。

イギリスは火事場の見物、でもどっちも付き合いがある。

銀座ファッションアカデミア 専任講師 服飾評論家 出石尚三先生の講義より

エドワード7世もドイツに姉がいる、ドイツは親戚のようなものだ。

とはいえ王室が政治に口を出すわけにもいかない。

側近たちは考えた。そうだ!時期王のエドワード7世、ドイツ名の帽子をご愛用!と広めるのはどうか。

ホンブルグは融和策に使われたんじゃないでしょうか。

エドワード7世は時期王様ですから、時期王がホンブルグって名前の帽子を愛用された!

なんとなくドイツ寄りであるぞ!と。

できれば、ドイツに攻撃の手を緩めてもらいたい。 そんなに攻めないで!というヨーロッパの期待感があったんでしょう。

銀座ファッションアカデミア 専任講師 服飾評論家 出石尚三先生の講義より

英国皇太子は、ドイツのホンブルグをおかぶりになっていらっしゃいますよ!

エドワード7世の孫。

さすがかぶり方も一味違う。こうやってちょっと傾けてかぶるのがポイントだ。

ところでこのスーツ、2つボタン2つがけ(普通は下のボタンは留めない)というウインザースタイル。のちにケネディが真似たスタイルだ。

さて、新型の帽子とはいえ、たくさんの献上品で溢れた皇太子が被る必要などなかった。

だがファッションに目がない皇太子はその帽子を気に入った。(本当に洒落た帽子だったのだ)

でも、その帽子にドイツの地名、ホンブルグという名前をつける理由は本来なかった。
時代は一触即発、交戦的なビスマルクが首相。
英国王室は政治的介入はできない。でも、親戚のような関係である。

意図的にドイツの地名を名付け、ビッグニュースにしよう。
こうしてホンブルグというネーイミグは完成された。

ファッションも大転換期だった

1870年頃のアメリカのファッションプレートから。

右側の写真の、左の紳士は、ホンブルグっぽい帽子をかぶっている。
1870年にはまだホンブルグという言葉はなかったが、ホンブルグに似たタイプの帽子があったことがわかる。その他の紳士はトップハット。

この帽子、ちょうど発表するには時代が最高のタイミングだった。

1880年〜1910年、大きなファッションの転換がある。

もともと紳士は着丈が長いフロックコートを着ていた。

それが、丈の短い今のスーツの原型といわれる、ラウンジスーツを着るようになった。

フロックコートやモーニングコートが当たり前、とされてきた時代から、基本、短い丈でいいんじゃない?という服装革命が起きていたわけだ。

しかし、フロックコートのような正装ならきちんとしたトップハットだ。
で、短いラウンジスーツの時は帽子はどうするの?と。
そこで、ちょうどホンブルグがそこに収まったわけだ。

最初のホンブルグはクラウンが高かった

1890年のアメリカのファッションカタログからです。

1888年にホンブルグという言葉が生まれたとして、イギリスからすぐにアメリカに流行が伝わっていたということです。

しかもトールホンブルグ(右上)というネーミングまでされてる。
ホンブルグとトールホンブルグ、比較するとトールホンブルグの方が倍近い値段がするでしょう。
ウェルテッド、シルクグログランで巻いてますでしょ、これ手で巻いていますから。
今は合繊です、どんなに高いホンブルグでも。

大きな服飾変化がありました。

フロックコート>ラウンジスーツ
1894年、イギリスでカントリージェントルマンカタログ(通信販売)というのが出ました。
その中には、皇太子様がおかぶりになったホンブルグハット、10ポンド10シリング!と出ています。
これが英語の文献で活字になった初めてだろうと、OED辞書に出ています。
イギリスでもとても需要があったのです。当時の10ポンド10シリングは現代の20万くらいだろうか、高かったでしょう。

ホンブルグハットは、ボーラーにくぼみつけた、と解釈されてしまったんですが、本当は違ういます。
オリジナルに違いのはトールホンブルグ。
トールクラウン、カーブドブリム。

銀座ファッションアカデミア 専任講師 服飾評論家 出石尚三先生の講義より

エドワード7世が献上してもらってかぶっていたのは、このトールホンブルグのような高いクラウンのタイプだったようだ。

これはカッコイイ。オシャレなエドワード7世の目に留まるのもうなづける。

シャツも、帽子も、柔らかくなった

さて、こうして世界的にラウンジスーツがスタンダードになる。

それに合わせて、ガチガチに硬いトップハットじゃなくて、ちょっと柔らかいセミハードの帽子、ホンブルグが柔らかい帽子と言われる理由なのだ。

ちょうどシャツのカラーとも連動している。

この時代は、シャツもハードカラーからソフトカラーに移行しました。

現に、ホンブルグをかぶっているエドワード7世はウイングカラーを着ていません。
シャツも、ハードからソフトへの転換期。
そういう中で帽子も、ハードからソフトへの転換。

だからホンブルグは世界中にあっという間に広がったのです。

銀座ファッションアカデミア 専任講師 服飾評論家 出石尚三先生の講義より

フロックコートを着て、トップハットをかぶる。もちろん夜は燕尾服で食事をして、その時のシャツはウイングカラーだった。

そんな流れがある日ラウンジスーツという、今のスーツのようなスタイルに一変した。

面白いもので、それまでフロックコートを着ていないなんておかしなことだったのに、時代のスタンダードが変わってしまった。こうしてアイテムも変わっていった。

最後にもう一つ、イーデンのこんな話

フランスではホンブルグをエデンという。

エデン、もとはイーデン。それは、この人物だ。

1936年頃、第二次対戦の直前は外務大臣をやっていた人物。

最終的には英国首相になった。
1930年代、このイーデンスタイルが流行った。
イーデンスーツというのがある、ピークドラペルの3つボタン、上2つ掛け、それはこの人が流行らせたのだ。

チャーチルも愛用したホンブルグがイーデンに進化

ところで、イーデンと関係が深いチャーチル首相もホンブルグ愛用している。写真は1930年代のチャーチル。

イーデンは一度離婚して、チャーチルの姪と再婚している。
チャーチルにもかなりかわいがられたそうだ。
イーデンからすると、チャーチルは大貴族で身分も年齢も違う。足を向けて眠れないのはもちろん。

チャーチルはハーバートジョンソンという、ホンブルグ誕生の翌年に誕生した帽子店でホンブルグを誂えていた。
なかなかの帽子屋で、英国皇太子が結婚式をした時の礼帽もハーバートジョンソンで作っていたそうだ。
チャーチルは首相の道を、イーデンに譲る。

こんな切っても切れない2人なのだが、イーデンという帽子はこんな理由で生まれたのでは?と出石先生は推測する。

おそらく私は、イーデンがチャーチルに聞いたんではないかと思っています。

「そういう帽子、私もかぶりたいんですが・・・。」

「うん、じゃあ君もハーバートジョンソンという店で作ってもらったらいいよ。」

作ってもらったんだけど、微妙にノリを薄くしたか、させられた。
チェーチルのはまさにホンブルグ。
でもイーデンは、さすがにチャーチルとまったく同じ帽子を作るわけにはいかないでしょう。
帽子屋も、かなり部下に、まったく同じ帽子を作っちゃまずい。
イーデンの立場からも帽子屋の立場からも、ちょっと控えめで、巻きを浅くして、ノリを薄くして。
これがアントニーイーデンハットの正体ではないでしょうか。

イーデンハットは、ホンブルグに似たやや軽量の帽子であろう。

銀座ファッションアカデミア 専任講師 服飾評論家 出石尚三先生の講義より

サヴィルロウでは、仲間同士の俗語で、ホンブルグのことをイーデンと呼んでいるそうだ。
フランスでエデンと呼んでいる感覚に似ているかもしれない。
正しくはアントニーイーデンハットという。

ホンブルグを巡って実はいろいろなドラマが生まれていたのだ。

まとめ

ホンブルグという、中折れタイプの帽子。

もともとイタリアの代議士が、杖で殴られたことを誇りにして、折れた帽子をかぶり続けたのが原型になっているようだ。

1888年、洒落者エドワード7世は、チロリアンハットを作っていた帽子メーカーからある帽子をもらった。

さらに洒落た中折れハットを献上され、すぐにかぶった。

周囲の人間はドイツの軍事的な勢いをなんとか収束させるべく、ホンブルグというドイツの地名をネーミングして、時期英国王がドイツ名の帽子をかぶったぞ!とニュースにした。

ちょうどフロックコートからラウンジスーツにトレンドが変わったことも手伝って、世界的にそのホンブルグがヒット。

かのチャーチルも愛し、部下のイーデンも似たものを作った。

ホンブルグハットはちょっと斜めにかぶるのが粋だ。

歴史あるホンブルグ、ストーリーを知ってかぶったら帽子も服ももっと楽しくなる。

さて、明日は何着よう?

私がかぶっているホンブルグはこのマクシミリアンというタイプです

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松 甫松 甫 記事一覧はこちら>>表参道の看板のないオーダーサロン 株式会社ボットーネ CEO。
自身もヘッド・スーツコンシェルジュとしてフィッティングやコーディネートを実施。
クライアントは上場企業経営者、政治家、プロスポーツ選手の方をはじめ、述べ2,000人以上。

2018年2月25日
ファッションアイテム | ハット
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